粥占祭 砥鹿神社 その2

占い&思ふこと

前回の続きです。

粥占祭、拝殿での撮影NGだったので、これより先は図で解説したいと思います。

粥占祭へ参加させていただくことになり、祈祷者入口から靴を脱いで入り、拝殿へ進みました。

常識知らずで空気を読むのが苦手な私は、粥占祭を終始この目で見届けたい欲望に駆られ、意気揚々と釜の前に座っていると、、、神職さんや他の参加者さんがどんどん入ってきて、、、さすがの私もここに座っていてはまずいと察し、拝殿の下手(しもて)の入口の端の方へ移動し座り直しました。

気がつくと、拝殿は人で溢れかえっていました。

役職名、、違っていたらすみません

この空間、、「どうしてこうなった?」状況。

参加者は大半が正装に身を包んだ氏子さんと思われる年配の男性。いかにも部外者であろう参加者は私と、登山してきましたと言わんばかりのスポーツスーツに身を包んだ男性の2人のみ。しかも、女性の参加者は私のみ。

霊山といえば、その昔は女人禁制の場所も多かったと聞いたことがあるけれど、、「私、本当にここにいていいの?」という思いで頭の中でいっぱいになりました。

すると、その思いをかき消すように5人の権禰宜と思われる神職さんが、まるで五人囃子のように楽器(太鼓と篠笛)を演奏し始めました。どうやら始まりの儀式のようです。

イメージ図

演奏が終わると、宮司(または権宮司)さんが場と参加者の浄化のために天津祝詞を献上し、大麻(おおぬさ)でお祓いしてくださいました。

いよいよ、粥占がはじまります。

宮司さん、権宮司さん、禰宜さんの4名で執り行われました。

どんな占いがなされるのだろうと、緊迫した空気の中どきどきしていたのですが、、、上記の図のとおり、、肝心なところが見えない!!私が座ったところからは、本殿が見えないのです。

「こ、これは洗礼だ、、興味本位で参加した私なんぞがそう易々と見られるものではないのだ、、」そう自分に言い聞かせ、ショックな気持ちを落ち着かせつつ、見える範囲のところをずっと見守りました。

ところで、砥鹿神社の粥占際とはなんぞや?ということですが、砥鹿神社のHPを見てみると、こう記されていました。

粥占祭(かゆうらさい)

前日より宮司以下祭員は奥宮に参籠する。
15日早朝神水にて粥を炊き上げ、これへ農産物・海産物の名を印した竹の管27本を混ぜて攪拌する。この後宮司は各々の竹の管につまった粥の量を卜定し、その年の天候や作物の豊凶を占う。凍てつく寒さの中行われる粥占祭は、古くより「オタメシ」「オクダガイ」として親しまれ、粥占符を求めて三河はもとより遠州や尾張地方からも参拝者が訪れる。

砥鹿神社HPより

見えないながらも、粥占いの方法を推測するに、、、

粥占が終わると、最後に五人囃子の演奏で締めくくり、上図の並んだお米と、筆で記された結果の紙を拝殿に置いて、神職さんたちはそのまま奥へ下がってしまいました。

あっけなく締め括られた粥占祭。

氏子さんたちはその結果(粥占符)を眺めながら「これが、なぜか当たるんだような、、」と呟いていました。

結果は公表していいものかわからないので、ここでは差し控えますが、気になる方は私に直接お尋ねください笑。

27種類の農産物と海産物は、「あゐ、あさ、あづき、あは、あぶらたえ、うみのれふ、おくいね、おしむぎ、かひこ、きび、くは、ごま、こむぎ、さたう、さつまいも、さといも、しほ、しょうが、そば、ちや、はたばこ、ひえ、まめ、わせいね、わせむぎ、わた、をかぼ(五十音順)」。

それにしても、実際にどんなふうに占いがなされていたのかが見えなかったのは本当に残念でした。

ですので、来年も参加しようと現時点では思っています。今回のように無事に辿り着けるかどうかわわかりませんが。もし行くとしたら、今度は登山コースから行ってみようかな。

登山道は整備されていて、そんなに険しい道ではなさそう。

なにはともあれ、長い歴史ある祭典に参加できたことを心から感謝いたします。

ありがとうございました。