私と読書

日記&思ふこと

私が読書をするようになったのは、20代後半。読書を始めたきっかけは独身だった頃、地方信用金庫で働いていた友達が主催した合コンに参加していたその友達の同僚から薦められた一冊の本からだった。

その本は推理小説だったのだけれども、その本の結末にかなりの衝撃を受けたのを今でも覚えている。それから、私はその著者のファンになりその著者が書いたシリーズ物をほぼ全部読み漁った。

この時、本がどれほど楽しいものなのかを知った。なぜもっと早くに気づくことができなかったのかとても悔やんだ。できれば、小学生の頃に気づいていたら自分の人生はもっと違ったものになっていたのではないか?とさえ思った。

そう思ったのは当時の私はコンプレックスの塊だったからだ。家柄も底辺、学歴もなく、当時働いていた会社は安月給の零細企業、親元を離れていた私はその安月給で細々と暮らしていた。だが皮肉なことに当時の私の周りにいた友達(ほぼ高校の同級生)たちは実家暮らしで、そこそこ良い学校を出て、そこそこ良い企業に就職して、お金も潤沢にあるのでいろんな趣味に興じていた。この社会的、経済的格差を当時の私は今でいう親ガチャと頭の良さの違いだと思っていた。だから、もっと小さい頃から読書を習慣にしていたら、これまでの人生でしてきた選択の幅を増やすことができたのではないのか?と思ったのだ。

過ぎてしまったことをあれこれ言うのは不毛だと思うが、これがコンプレックスのなせる技だともいえる。

こうして衝撃的な本との出会いを果たしたのではあるが、如何せん、私は本が読むのが非常に遅い。何故なら著者の言葉を頭の中で噛み砕きながら一文字も逃さず読んでいるからだ。これは自分の生まれ持った読解力の弱さが原因かと思われる。つまりワーキングメモリ(情報を一時的に記憶しておく機能)が弱いのだ。

速読法などの読書効率を上げる試みもいくつかやってみたが、ほとんどの方法が読んだ気にはなれるものの何一つ頭に残らない。つまり、ほとんど効果はなかった。だから、今でも本を読むのは非常に遅い。1週間に1冊読めたらいいほうだ。

なので、これまでの人生で読んできた本は他の読書好きに比べたら圧倒的に少ない。また私は好きな著者の本しか読まないので、偏りも大きい。なぜ好きな著書の本しか読まないのかというと、つまらない本や読みにくい本は全然頭に入ってこないからだ。時々、余暇的に読書を嗜む人がいるようだが、私は「読むからには何かを吸収したい」という強欲さがあるので、頭に入ってこない本を読むと時間を損失した気分になる。

しかし最近は少し流行りの本や自分と価値観が合う人がお薦めする本は読むようになってきた。それは、流行りの本は流行っているだけあって読みやすいのと、価値観の似た人が読む本は面白く読みやすいことが多いからだ。

とまあ、こんな感じでゆっくりペースで読書をしています。また機会があれば好きな著書についてもあれこれ書いていこうかな。

それではまた。