宿題をやろうとしているのに宿題やれといわれる嫌さ

日記&思ふこと

私には小学生と中学生の息子がいる。そんな息子たちの学校生活を見ていると、毎日結構な量の宿題が出る。

基本ぼーっとしている我が子たちは当然のことながら学校から帰ってきてすぐ宿題に取り掛かろうとはしない。なんなら寝る直前まで余裕な顔をしてゲームをやっていたりする。

宿題をやらないまま学校へ行って怒られるのは本人なわけで、本来、親が口出しすることではないのだが、時々「宿題やった?」とか「早く宿題やりなさいよ」とついつい言ってしまうことがある。

そんな時はたいていこちらがイライラしていたり、何か心配事があるとき。もしくは、学校での息子の評価が上がったりして期待をしてしまうときのような気がする。

中学生の息子はわりと従順なタイプなので私が宿題やりなさいよというと「わかったー」と素直に宿題に取り掛かったりするのだが、小学生の息子はたいてい怒り出す。

「今やろうとしていたんだよ😤」

「あーもうそんなこと言うならやらない😤」

小学生の息子はかなり原始的な性格をしていて、人間のありのままの欲望を標準より素直に表に出す傾向がある。そしてその割に「ちゃんとしなくちゃ」という思いが強いタイプ。

九星で分類すると六白に近い反応をする事がよくある。そう考えると、この宿題の件の反応も六白っぽいところがある。私そっくりだ。

この背景(心の奥)を考察するに「やらなきゃいけないのはわかっている。だけど今はゲームが面白いからやれない。でも早くやったほうが良いのはわかっている。」

つまり分かっていることを言われているから腹が立つ。プライドが傷つけられたことによる反応なのかなーという気がしています。

しかし、そもそもなんで宿題をやらないのかというとそれは「ゲームより面白くないから」なわけで、ゲームのほうが宿題よりも優先順位が高いわけで、つまりは「宿題は今やりたくないこと」になる。

これは物事を短期的にしか考えられないゆえの結論だったりする。それもそのはず小学生の息子はワーキングメモリの容量が小さく長期記憶が苦手。ちょっと先の出来事の予測ができない。

それにより、宿題をすることの意味を見出すことができないのだ。

しかし毎日学校に行っているおかげか「宿題はやらないとダメなこと」ということは認識している。だけど宿題をやる本当の意味を分かっていない状態ということだ。

じゃあ、宿題をする意味を教えてあげたら良いのでは?と思うが、そう簡単にもいかない。なぜなら、たとえ説明したとしても視覚優位の息子は言葉だけでは理解もできないし想像もつかないからだ。

実際に宿題をやる意味を説明しようと試みた事があったが、案の定激怒&パニック。「そんな事言われてもわからないよー!」そりゃそうだよな、、と思いながらこちらが折れた記憶がある。

視覚でわかりやすいように説明すれば良いのでは?と思うかもしれないが、そうなると今度は私の想像力の欠如の問題でどうやって視覚的に説明をすれば良いのかわからない。ということで親子で迷走状態に陥るわけだ。

と、前置きがずいぶん長くなってしまったが、現在今の私がその状態にある。

宿題=人を占う(実践する)に置き換えた迷走状態がここしばらく続いている。

言い訳をすれば山のようにあるが、そもそも「やる気がない」の一言で片づけられないことはない。実際に人を占うことに消極的なところもなくはない。それは人を占うことに「飽きた」ところもあるのかもしれない。

ではなぜ飽きてしまったのかというと「同じ場所で占っているから」ということに最近気づかせてもらったのだが、次はその場を変える方法がわからない。

多分今はそこで行き詰まっているのだと思う。

そんな状態であるからして、「もっと実践をしたほうがいい」「もっと行動したほうがいい」と言われるたびに腹が立つのである。

「分かってる。分かってるけどできないんだー!」と大声で叫びたい気持ちでいっぱいになる。

そして、究極的には宿題ができない自分は学校に行ってもしょうがない。といった思考になってくる。もしかしたらそんな理由で不登校になっている子もいるんじゃないかな…

そんなわけで夏休み突入しさらに自由に動けない状態になるので、しばらく冬眠しようと思います。夏だけど。このしばらくがいつになるかわかりません。明日には終わるかもしれませんが、ひとまずコツコツこのサイトを整えていこうと思います。

とは言いつつ、ご依頼がありましたが飛んで伺いますのでご希望の方はお気軽にお問い合わせください。

それではまた。