易とは

易(梅花心易・断易)

東洋の占いの中で「易」というものがあります。「易」と一言でいいましても、易に関する用語がいろいろあります。

  • 易(えき)
  • 易経(えききょう)
  • 周易(しゅうえき)
  • 断易(だんえき)
  • 五行易(ごぎょうえき)
  • 梅花心易(ばいかしんえき)

正直、最初は混乱される方も多いのではないでしょうか?というか、私自身が混乱しています笑。そこでそんな疑問を解決すべく、わかりやすくまとめてみたいと思います。

簡単に結論を書きますと、

易・・・算木と筮竹という道具を使って吉凶をみる占術のこと。  

易経・・・周易を儒学の経典として取り入れた哲学書。 

周易・・・森羅万象の仕組みを用いて占いの解説書としてまとめたもの。  

断易・・・周易に十二支(五行)を当てはめて解釈する易の占い

五行易・・・断易の別の呼び名

梅花心易・・・道具を使わない易の占い

それでは、少しだけ詳しくみていきましょう。

易とは

易とは何か?

「易」とは何かといいますと、

「易経」の原理に基づき、算木(さんぎ)と筮竹(ぜいちく)という道具を使って吉凶を占う術のことを言います。「易経」を略して使ったりします。

Oxford Languages and Google引用

「易経」という哲学書を元に、道具を使って占うひとつの占術のことと一般的には言われているようです。この哲学書である「易経」のことを略して「易」と言ったりもするのですね。つまりは「易」と一言でいっても占い哲学書、2つの意味合いが含まれているということになります。

確かに、占いである易のことを「周易」、哲学書である易のことを「易経」といっているイメージはあります。(易経、周易については後述いたします。)

易は何に使っていたのか?

ここでは、占いである「易」について掘り下げていきましょう。さて、この易占いは元々どんな時に使われていたのでしょうか?

「易」とは、古代中国におこった占いの方法。殷(いん)[BC18世紀頃〜BC12世紀頃]の時代に国家の大事を決するとき、亀甲(きっこう)、獣骨を焼いてできたひび割れの形によってその吉凶を決した。亀甲獣骨卜占(ぼくせん)といい、甲骨文字(そのひび割れの形)はそのときの卜辞(ぼくじ)である。

日本大百科全書(ニッポカ) and コトバンク引用

昔の中国の偉い人たちは、国家で大事なことを決める際に占いを使っていたようですね。今では考えられませんね。しかしながら、ご存じな方もいらっしゃるかもしれませんが、現在でも日本の天皇家の行事の際に、この昔ながらの卜占は使われているのです。

話が少しそれますが、その行事とは毎年11月に行われる「新嘗祭(にいなめさい)」です。天皇が新穀を天地の神にお供えし、それを食するという祭り事です。このお祭りにその年に収穫したお米を使うのですが、そのお米の収穫地をこの卜占(亀卜:きぼく)を使って決めているのです。

大嘗祭|平成から令和へ 新時代の幕開け|NHK NEWS WEB
「大嘗祭(だいじょうさい)」は毎年11月に国と国民の安寧や五穀豊穣を祈って行われる宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)「新嘗祭(にいなめさい)」を即位後、初めて大規模に行うもので、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式とされています。

また、昔は占う際に筮竹や算木を使うのではなく、亀の甲や獣の骨を焼いて、それによってできたひび割れを見て吉凶を判断していたようです。そのひび割れのパターンを長い年月をかけて分析し言葉にしたものを卜辞といい、これがすなわち易経に記されている卦辞、爻辞になっていったようです。

「易」が少し馴染み深いものになってきたのではないでしょうか?

易の名前の由来

なぜ、これらの占いのことを「易」というようになったのでしょう?「易」の名前の由来を調べてみたところ、2つの由来があるようです。一つ目は、

「易」という字は、日と月からなっているという日月説がある。これは日を陽、月を陰にかたどったものであるという。宇宙のもろもろの現象には陽と陰、プラスとマイナスという相対する二つの現象、表裏の二つの原理が存在するという考えが古代中国にあった。この考えを発展させたのが日月説であると考えられる。

新訂現代易入門 井田成明著引用

易の歴史については改めて後述しますが、易の中心思想は、陰陽二つの元素の対立と統合により森羅万象の変化法則を説くというもの。その意味を込めて作られた文字のようです。

そして二つ目の由来は、

易の字源は、トカゲの類の象形。トカゲは体色がよく変わることから、易の字には「かわる」という意味があるとされる。

日本大百科全書(ニッポカ) and コトバンク引用

上の「日」が頭で、下の「勿」が足と尾の形に似ているところから付けられたようです。トカゲは一日に十二回も体の色を変える特性があるので、変化するもの=易という意味づけもされているようです。

「日月説」「トカゲ説」どちらの説にしても「易」という言葉の意味合いとしては、

易は、宇宙間の変化諸現象の根本原理を示すもので、万物流転、社会現象を固定的・静的にとらえず、動的に消長変化するものととらえている。

新訂現代易入門 井田成明著引用

易は英文で”The Book of Change”と表すことからも、易は、この世にあるものは絶え間なく変化して止まることがなく、栄枯盛衰しながらも循環していくという世界観や社会観の上にできたも。という意図をもって作られた漢字のようですね。

易ができるまで(歴史)

「易」をつくった人については様々な説がありますが、一般に周知されている説をざっくり解説していきます。

まず八卦を画いたのは中国の古国時代の伝説の帝王のひとり「伏犠(ふくぎ・ふっき)」である。天地の理(ことわり)を理解して作られた八卦、これを組み合わせて六十四卦にしたのも伏犠といわれているが、別の伝説の帝王である神農(しんのう)という説もある。

日本大百科全書(ニッポカ) and コトバンク引用

伏犠がいたとされる古国時代は紀元前3000年頃といわれているので、今からおよそ5000年前頃には八卦と六十四卦の原型は作られていたということになります。

ちなみに、神農という帝王は、伏犠ともうひとり女媧(じょか)という帝王と並び三皇として挙げられています。

この三皇は、天皇・地農・人農という説もあり、つまりは天・地・人といったこれまた宇宙の原理原則を匂わせるような古い歴史があることを物語っているようにも感じます。

Wikipedia出典 左:女媧 右:伏犠

ちなみに、神農という帝王は、伏犠ともうひとり女媧(じょか)という帝王と並び三皇として挙げられています。この三皇は、天皇・地農・人農という説もあり、つまりは天・地・人といったこれまた宇宙の原理原則を匂わせるような古い歴史があることを物語っているようにも感じます。

それでは、この八卦と六十四卦の画がどのように後世に伝わる書物となっていったのでしょうか。

六十四卦にはそれぞれ卦辞と爻辞があるが、卦辞は周の文王がつくり、爻辞は周公旦がつくったとされている。

日本大百科全書(ニッポカ) and コトバンク引用

文王(ぶんおう)とは、紀元前1100年前後にいた殷(いん)の時代の末期の周国の君主です。周公旦(しゅうこうたん)は周の時代の政治家でかつ、文王の四男坊。どちらも、模範的・道徳的な君主の代表例として儒教において崇敬される存在のようです。

文王が卦辞、つまりは六十四卦それぞれの卦の説明をまとめ、その子の周公旦が爻辞、つまりは384爻の説明をまとめたことになります。

易経とは

易経とは何か?

「易経」と調べてみるとさまざまな解説がなされています。

易経とは、儒教の基本書籍である五経の筆頭に挙げられる経典

Wikipedia引用

「五経」とは、中国の儒家(孔子によってはじめられた学派)が尊いものとして崇めていた経典で、「・書・詩・礼・春秋」の5種の規範によって構成されています。「経」とは、政治と倫理の基本原理を提供する人類生活の永遠の規範を意味するもので、この5つの教えは生きていく上で欠かせない知恵ということで儒家の間では重んじられていたようです。

また、別の解説によりますと、

易経とは。陽を、陰を— —で示し、それを組み合わせた六十四卦によって自然と人生の変化の道理を説いた書。各卦を説明する暗示的な卦辞に対して、さらに「十翼」と称せられる解説がつけられ、儒家的な宇宙観、倫理観を表わすようになった。漢代には、主に予言や占いの書として用いられた。

精選版 日本国語大辞典 and コトバンク引用

こちらでも儒家という言葉が出てくるので、儒家の経典として存在したもののようです。

易の名前の由来でも解説がでてきましたが、易経の中心思想は、陰陽二つの元素の対立と統合を用いて、森羅万象の変化の法則を説くもののようです。

易経は、儒学者である荀子(BC300年頃~BC238年頃、中国戦国時代末の思想家)の学派によって儒家の経典として取り込まれた。

Wikipedia引用

儒家は孔子がはじめた学派ですが、実際に儒家の経典に取り入れたのは、孔子の弟子であり「性悪説」で名の知れた荀子の偉業のようですね。

他にも様々な説があるので正直真相はわかりませんが、易経とは、古くから伝わる多くの人に影響を与えた哲学書の一つという意味で理解しておけば良いかなと個人的には思います。

周易とは

周易とは何か?

周易は易経に記された、爻辞、卦辞、卦画に基づいた占術である。(中略)古い時代からの卜辞の集積から爻辞が生まれ、次いで卦名、卦辞が作成されるといった変遷を経て成立したものである。

Wikipedia引用

「周易」は占術とありますね。また、長い年月をかけて膨大なデータを集めて編成されたもののようです。

易経は「周易」を原文とし、爻辞、卦画、卦名、卦辞に十翼と呼ばれる附文を加えたものである。

Wikipedia引用

易経の原文は「周易」であると解説されています。ということは、先に占いとして使っていた易を哲学書として活用したのが易経ということになるのでしょうか?

実際に、易の占いをやって六十四卦の卦辞や爻辞(実際にはその意味。十翼)を調べる際、いくつかの書籍を参考にしたりするのですが、書籍の内容はほぼ同じであるにも関わらず「周易」と書いてあるものと「易経」と書いてあるものどちらもあるんですよね。

結論としては、占いの書物として扱う使うのが「周易」哲学書として使うのが「易経」といった解釈で良いのではないかと思います。また「周易」は占い自体というよりも、占いで使う解説テキストみたいな意味合いが強いと個人的には思います。また六十四卦のことを周易といったりもしますね。

これまでに挙げた「易」「易経」「周易」の違いを一言で表すと、

  • 易⇨算木と筮竹を使った占い。(占術)
  • 易経⇨周易を哲学書としてまとめたもの。(哲学書)
  • 周易⇨森羅万象の仕組みを用いて占いの解説としてまとめたもの。(占術書)

実際に調べてみるといろんな解釈や言葉の使われ方がなされているので、わけわからなくなるのですが、私はこのように解釈して頭を混乱させないようにすることにします笑

断易(五行易)とは

断易(五行易)とは何か?

それでは「断易」についてみていきましょう。一言で説明するのであれば、周易に十二支(五行)を当てはめて解釈する易の占いになります。

卜術の一つ。中国の春秋戦国時代に鬼谷子(きこくし)が作り上げたといわれている。易の卦を構成する六つの爻を十二支に割り振り、十二支の陰陽五行による相生相剋関係などによって判断するため「五行易」とも呼ばれる。

コインやサイコロ等を用いて占う。占的に対しての吉・凶がはっきり出る上に、その結果の出る時期と自分にとっての有利な対処策を考える手だてまで求められる占術。

占い学校アカデメイア・カレッジ「占い用語集」andコトバンク

図のように、易の卦=六十四卦の各爻を十二支に割り振り、その十二支を五行に置き換え、爻同士の相生相剋関係や、月日の十二支(五行)の関係などをみて、質問に対する答えを導き出していきます。

爻にどの十二支が配置されるかは、あらかじめ決まっているので、立卦する(六十四卦をだす)こと自体は慣れてしまえば簡単ですが、これを解釈するには鍛錬が必要です。

卜術とは?

ちなみに、「卜術」とありますが、占いには大きく分けて「命術・相術・卜術」という3つのジャンルがあります。簡単に解説すると、

  • 命術・・・生年月日からみる占術。四柱推命、算命術、紫微斗数、星占いなど。
  • 相術・・・対象の形からみる占術。手相・家相・姓名判断など。
  • 卜術・・・偶然に発生した事象からみる占術。易、タロットなど。

断易は道具を用いて偶然に出たものの事象で占うので、卜術ということになります。

鬼谷子とは?

「鬼谷子」とは、諸子百家のひとつ。諸子百家とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者と学派の総称で、「鬼谷(鬼谷子)」という人が「鬼谷子」という教え(学派)を作りました。実際には、鬼谷子をつくったのは別の人という説もあるようですが、とにかく昔は文字を読み書きできる人が限られていたので、インテリ層の学者が独自に作った学問(哲学)ということになります。

この「鬼谷子」という本は、道教の経典として保存されているようです。

ここで、お気づきの方もいらっしゃるかも知れませんが、易経は「儒教の経典」であるのに対し、断易の元である鬼谷子は「道教の経典」というのはちょっと面白いなと思いました。なぜなら、儒教と道教は相反する教えだからです。つまりは、どちらの教えにも易が活用されているということになります。

ということは、森羅万象のシステム(周易)は当然の如く万人に受け入れられていたということになります。つまりは、疑う余地もなく人類に当然に必要だった考え方だったのではないかと思います。占いというと懐疑的になる方がいるかと思いますが、易に関しては逆に疑う余地のない信憑性のある占いなのではないかと勝手に思っています。

梅花心易とは

それでは、最後に梅花心易についてみていきましょう。一言で説明するのであれば、道具を使わない易占いになります。

梅花心易とは何か?

占うタイミングのあらゆる事柄(月日や時間、物の数、音の回数、状況、画数など)を数に置き換えて計算してを立てて判断する占いです。 「易」と名がつきますが、いわゆる「易占い」のような筮竹を使うことはありません。 これが最大の特徴です。

実践梅花心易 鎗田宗准著引用

八卦や六十四卦の体型を基本としている。判断の基となる易卦を出す際に、あえて道具を用いず、占断する年月日時や周囲のあらゆる物から数を取って易卦を立てるのが特徴。また断易のように占う事柄の吉凶を判断できるメカニズムも備えているため、周易と断易のそれぞれの長所を併せ持つ易占法といえる。

占い学校アカデメイア・カレッジ「占い用語集」andコトバンク

身の回りのあらゆるものの中から気になったものをピックアップし、それを数字に変換します。その数字を八卦に当てはめ、六十四卦(周易)と変爻というものを出します。易は変化をみていく占いでもあるので、爻を偶然性をもって変化させることによって導き出していきます。

立卦の仕方(一例)

主に時間などを使うことが多いように感じますが、今回は数字を変換するイメージの参考がてら、名前から立卦した例をご紹介します。

このように数字に変換することで、八卦および六十四卦をだしてみていく占いになります。断易との違いは、六十四卦の言葉の意味(周易)を変爻も合わせて読み解いていきます。

梅花心易の起源

「梅花心易」はいつ誰が作った占術なのでしょうか?

中国北宋時代(十一世紀)に完成された易占法。

占い学校アカデメイア・カレッジ「占い用語集」andコトバンクから引用

邵康節(しょうこうせつ:1011~1077年)が完成させたと言われています。

Flying Deity Tobifudoから引用

易、周易、易経、断易はすべて紀元前にはすでにあったものですが、梅花心易は紀元後ですので、他の易に比べたら新しい占術ということになります。とはいえ、現在からおよそ1000年前に作られた占術なので歴史は感じますね。

邵康節は、中国の北宋(ほくそう)の時代にいた学者です。李之才という学者から、河図・洛書・図書先天象数の学を受け、数による神秘的宇宙観、自然哲学を説き、様々な学者に影響を与えた人物のようです。

家は大変貧しかったようですが、政学界の大物を友人に持ち、ものにこだわらない豪放酒脱な人柄から「風流の人豪」ともいわれ、洛陽の老若男女に慈父のように慕われたそうです。晩年に天津橋上でホトトギスの声を聞き、王安石(北宋の政治家)の出現と政界の混乱を予言したといわれているようです。

梅花心易の逸話

「風流の人豪」といわれているのを裏付けるように、邵康節の梅花心易に関する逸話が現在も言い伝えられています。

ある日ネズミがうるさいので陶製の枕を投げつけました。割れた枕の破片をよく見ると「卯年4月14日、巳の時にネズミを見て破れる」と書かれていました。

この予言の不思議さに引かれ、邵康節は枕を作った工場に行きます。すると、むかし周易の本を持った老人が来て、しばらく休んでいったことがあるので、おそらくその老人のしたことでしょう、と老人の住まいを教えられます。

老人を訪ねてみると、すでに亡くなっていました。しかし「いずれ賢者が訪ねて来るだろう。その時にこの本を・・・」との遺言を伝えられ、易の本を手に入れます。そして、この本を元に研究を重ね、完成した易が梅花心易と伝えられています。

Flying Deity Tobifudoから抜粋

この他にも、「牡丹の花がいつ落下するかを占って、翌日の午の刻(午前11~13時)に馬に踏みにじられる。」や「老人の心配顔を見て、魚毒にあたる。」など幾らかのことを梅花心易で予知したと言われています。

梅花心易の名前の由来

梅花心易の名前は、”梅を観ていた時、二羽の雀が枝を争いう姿を見て、翌日の夕方に隣の娘が梅の枝を折ろうとして木から落ち、ケガをすることを推測した”この占例から後世に付けられた名前です。

Flying Deity Tobifudoから抜粋

名前はいつ誰がつけたか定かではないようですね。しかしながら、粋な名前であることは間違いありません笑

易と日本との関係

易はいつ日本にやってきたのか?

江戸時代の中期の儒学者、新井白蛾(1715〜1792)が書籍にしたのが最初といわれているようですが、安土桃山時代(1573〜1603)には既に日本に伝えられていたようです。1680年大田平右衛門版『梅花心易明鑑』(紀州の小泉松卓によって考案)や、乾・坤の2冊で構成された『梅花心易』のテキスト完成形として江戸中期まで出版されていたそうです。

意外と最近なんだね?もっと前から日本にあったのかと思った!と感じる方もいらっしゃるかも知れません。それは、平安時代に全盛期を迎え明治初期まで存在した陰陽寮(陰陽道)とごっちゃになっているからかも知れません。

易と陰陽道の違い

陰陽道は中国の諸子百家のひとつ「陰陽家」が元になっています。この陰陽家は、中国では後に儒教や道教に吸収され、日本の陰陽道に相当する独自の体系は発達しなかったといわれています。つまり、易と陰陽道、それぞれに元の教えが違うということになります。

  • 易=儒家、道家
  • 陰陽道=陰陽家

この陰陽道は何かと言いますと、

古代の中国で生まれた自然哲学思想、陰陽五行説を起源として日本で独自の発展を遂げた呪術や占術の技術体系である。(中略)六壬神課を使って占いをし、除災のために祓(はらえ)をする者全てが陰陽師と呼ばれるようになった。陰陽師集団を陰陽道と呼ぶことがある。

Wikipediaから抜粋

日本では易ではなく、六壬神課という占いを主流に使っていたようですね。

まとめ

以上、易について自分なりにまとめてみましたが、これらのほとんどはインターネットでかき集めた情報ばかりなので、正直「これが正しい」とは言えません。

易の成り立ち、易の定義、易の占いの特徴など、実際の言い伝えでは曖昧なことが多く、実は大元は西洋から来ているのでは?という見解もある様です。

そういう視点で見ると、辻褄が合わないことがたくさんあることも事実。

ご興味があれば是非「易探求の旅」に出て易の知見を深め、易の素晴らしさを知っていただければと思います。

最後までご覧くださりありがとうございました。

参考文献
Wikipedia
Flying Deity Tobifudo
Oxford Languages and Google
日本大百科全書(ニッポカ) and コトバンク
精選版 日本国語大辞典 and コトバンク
占い学校アカデメイア・カレッジ「占い用語集」andコトバンク
新訂現代易入門 井田成明著
実践梅花心易 鎗田宗准著